アウシュビッツの感想。暗い歴史は、悲しみ嘆くためにあるわけじゃない。

「悲しむより、何が自分にできるのか考えなきゃいけない。」

 

今回の旅のメインだったアウシュビッツは
私の考え方に刺激を与え、
世界の捉え方を変えた。

 

アウシュビッツ博物館唯一の日本人ガイド・中谷さんの言葉は、

今までのどんな教育よりも衝撃を与えて脳裏に刻まれ、私にこれからの人生の課題をくれた。

吐き気に襲われたビルケナウ

当日、私は朝4時に起きて1番早いバスで、
まずは第二収容所ビルケナウに向かった。

 

※アウシュビッツは、
第一収容所(ガス室を含めた収容所と博物館)/有料
第二収容所ビルケナウ(第一よりはるかに広い)/無料
がある。

 

小雨が降っていて現地は寒い。
誰も歩いておらず、広大な敷地にほぼ1人。
当時の建物に囲まれて冷たい雰囲気、孤独感を味わう。

ほんまに淋しかった・・・ナチスなんかいないのに、
「銃で撃たれるんじゃないか?」
「捕まるんじゃないか?」
って想像しちゃった。

 

私の足音だけが淋しく響く中、
死の門をくぐり、死の池を見て
命の選別をされた人がガス室まで並ばされた道に立つ。

案内の文章を読めば、えげつなく悲しい言葉ばかり。
写真はこれから死にゆく人だ。見ててつらい。。

当時を想像したり、実際のガス室跡を見たり、建物の匂いを感じるだけで、
正直、午前中は吐き気に襲われて何度も嗚咽が込み上げたよ。。。

 

↓ガス室の写真(白い線は、実際の爪痕)


※ガス缶の正体は、「殺虫剤」だったために窒息死するまで10~15分かかったらしい。
その間、自分も苦しいけど、
愛しい人達が苦しむ姿、死にゆく姿を見ていたのだと思うと、胸が張り裂けそうになる。

 

↓銃殺場所

いつもはもっといっぱいの花束がたむけられてるんだって。

 

↓ビルケナウにいる時に収録した不安が入り混じる「リアルなわたしの声」

「情報」ではなく「経験」することが、本当の学び。

体調がかなり不安な中、
午後1時から第一収容所&博物館の日本語ツアーへ。

 

しかし、驚くべきことに
このツアーでは吐き気は一切起きなかった。

 

なぜかというと、ガイドの中谷さんはとても淡々としており、

アウシュビッツの歴史的背景はもちろんのこと、
「考える」ために常に様々な疑問を投げかけてくるからだ。

 

そして、教科書や本、動画などでは学べない「体験する意味」を体験を通して教えてくれる。

人間はどれだけ頭で理解していても
文章になったものは「モノ」になって
情報としてしか入って来ない。

 

でも実際に、目で見て身体で感じるものは
情報ではなく経験だ。

 

例えば
隣を歩いていたユダヤ人ツアーの人達がなぜイスラエルの国旗を身に纏っているのか。
彼らの表情、声、目に浮かんでいる涙。

 

中谷さんは言う。

彼らの悲しみや想いは、彼らにしか分からない。
彼らは日本人の僕等とは全く違う気持ちでここに来ている。

アウシュビッツの悲劇から78年が経っても
彼らにとってはまだ終わってないんだ。

 

そのリアルは、どんな文献にも載っていない。
ここに来なければ、彼らの佇まいや思いを肌身で感じることは出来ない。

 

その証拠に、ナチスによって潰されたガス室のがれきの上に「小石」が置いてあったけど
これはユダヤ人によって置かれたもの。

彼らはお墓の上に小石を置くらしい。
つまり、彼らにとってアウシュビッツは「先祖のお墓」ということ。

中谷さんは、そんな彼等を目の前にしながら

彼らの歴史、ユダヤ人という人種とは何か?そもそも人種とは?

迫害していた人達は、誰なのか?

 

そんな話があるたびに深く考えさせられる。

 

でも、中谷さんのツアーで最も根底にあった問いは、

「人間の本質とは何か?」

ということ。

 

人々の隔たりを作っている条件とは何か?
常識とは何か?
世間とは誰か?
教育とは何か?

 

吐き気なんて忘れて、本当に考えさせられた。

目に入ってくる情報を味わうより、どうやったらこんな悲劇がなくなるのか。

私達は何を知るべきなのか。。。

 

そして中谷さんは

現在のヨーロッパの教育が変わって来ていて、
それがアウシュビッツの展示にも現れていることを教えてくれた。

 

実はアウシュビッツには、ヒトラーの写真はほとんど飾られていない。
つまりそれは、

 

誰か一人や一国だけが悪いわけではなく、それを許した周りの人間や国、
環境にも原因があるのだということ。

 

自らの罪を認めたうえで、みんなでそれを共有して
2度と同じ非劇を生まないようにするために教育変革があったみたいだ。

日本の教育に足りないと感じたもの

わたしはそれを聞いて、日本の教育の貧弱さを感じた。

 

日本の歴史教育が、今もいろんなニュースをやっているけど、

敵と味方が出来ればすぐに加害者が100%悪いというように、
被害者意識を強くしているんじゃないかと思った。(あくまで個人的な意見)

 

そして、ホロコーストも、戦争も、いじめも、ちょっとした人間関係の綻びも、

実は本質は同じだということも。

 

日々の人間関係の中に原因があり、
平和への鍵がある。

 

私は、

いかに自分が愚かで残酷な存在であるか、
人間なんて大したもんじゃない。

ということを知ることから始まる気がする。

 

人間や自分の危険性を知り、
過ちを犯す可能性を認めてこそ

思いやりを忘れずにいられるんじゃないか?

人としての尊厳を保つために勉強し、
訓練するために教育があると思った。

特に、社会科や道徳はその為にあるよね。

 

そして、他人の過ちを許すこともすごく大事で
みんな過ちを犯すから、許し合って支え合って生きてるのだと
もっともっと教育で教えていくべきだと思う。

 

中谷さんは、私達日本人は第三者だからこそできることがあるが、

ユダヤ人の気持ちをすべて理解することは絶対に出来ない。

 

でも「知ろうと努力することはできる」と言ってた。

 

僕達は当事者ではないからこそ
そういう気持ちに歩み寄って、彼らに安心できる環境を作ってあげることはできるかもしれない。

君達がアウシュビッツを訪れた行動だって、
案外彼等を安心させてるかもしれないよ?
遥か遠くの国からアウシュビッツを訪れている姿に、彼らは「知ろうとしてくれてありがとう」と喜んでいることは大いにある。

あなた達が考えて、知ろうとして現地に来た。
この「相手を知ろうとする行動」が大切なんです。

みんながお互いを知ろうと努力して、安心できれば、
国境なんて必要ないんだと思う。

とにかく私は、
戦争やいじめを無くすためには大人はもちろんだけど、
子供の頃から本質をついた体験型の教育が必要だと思う。

 

そしてもう一つ。
子供の頃、原爆ドームを訪れたけど
被害者の体験談や戦争の怖さを説くのはもちろん大切。

でも、日本だけがかわいそうじゃなく、
日本の植民地にされていた国の話やアメリカ軍の視点や気持ちも教えるべきだと思う。

 

両方の視点から見て、物事の全容や問題点、

本質が見えてくるからだ。

 

いろんな視点を持つと「誰が悪者か」と限定して
ネットで誹謗中傷したり、いじめたりすることがおかしいと気づくはず。

わたしたちに何ができるか?

結論的に、アウシュビッツの惨劇や戦争は、
わたしたちが日頃抱いている劣等感や危機感からくるものだと思った。

だからこそ、まずは自分の恐怖の源を知り、
不安を向き合い、仲良くなること。
自分を大切にすること。

そして、家族を大事にする、友達を大切にする、
いやシンプルに、まずは目の前にいる人のことを考えること。

 

目の前に広がる世界をできるだけ知ろうと行動すること

 

スマホで簡単に情報が手に入る世界だからこそ
私は目で見て肌で感じられる実体験から
学びを深めたいと思った。

 

アウシュビッツに行ったら悲しすぎる現実をたくさん目にするけど
暗い問題を目の前にして嘆き悲しんでても仕方ない。

 

悲劇に遭った人たちの無念を晴らす
未だに悲しみや恐怖を抱いている人達を安心させるためには
これからの私達一人一人の行動が世界を変えるんだ。

 

本当にかけがえのない経験になったなぁ。
「行きたい」と少しでも思っている人は、一生に一度絶対に行ってほしい!

 

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